名前白井義男 しらい よしお
別名なし
生年月日1923/11/23
国籍日本
戦績65戦53勝8敗4分22KO
紹介東京都荒川区出身のプロボクサーで、元世界フライ級王者。日本人として初めての世界王者である。右ボクサータイプ。
小学6年生時の夜祭りの余興で行ったカンガルーとのボクシングに負けて以後、ボクシングにのめり込んだという。プロデビューは戦時下の1943年。8戦全勝の成績を残すが、招集されて海軍に従軍し、整備士として終戦を迎える。復員後、ボクシング界へ復帰したものの、海軍時代に特攻機の整備した際の労災により、腰痛となり、引退寸前に陥るも、そのころジムに出入りしていたGHQ職員ユダヤ人のアルビン・R・カーンに見出され、全面的な支援の元に、その素質を開花させていくことになる。
カーンの指導の下、栄養豊かな食事を与え健康管理を徹底し、長い手足と運動神経を活かした防御主体のよりテクニカルなスタイルに矯正したことにより息を吹き返した白井は、歴戦を重ね、1952年、ダド・マリノ(アメリカ)との世界タイトルマッチに勝利し王座を獲得。以後4度の防衛を果たすこととなった。
敗戦に打ちひしがれた日本人にとって、白井の活躍は"希望の光"でありその功績は計り知れない。
白井とカーンとの関係は、選手とコーチの範囲を超えるまさに「家族」と言えるものであった。引退後においても、それは変わらず、恩師・カーンとの交流は続いた。晩年のカーンは認知症になったが、白井夫妻の厚い介護を受けた。子供のいないカーンは、死後全ての財産を白井に譲ったという。
白井も、カーンの「ボクシングビジネスに手を出してはいけない」という忠告を守り、1995年に具志堅用高とともに白井・具志堅スポーツジムを設立、同ジムの名誉会長に就任するまで、解説・評論活動以外でボクシングと関わることはなかった。
主な戦歴1943年11月プロデビュー。8戦全勝の成績を残すが、1944年海軍に召集。1945年復員。
1946年8月ノンタイトル6回戦に判定勝ちし現役復帰。
1948年7月30日石森信之に2回KO勝ち。カーンと組んでから初試合・初勝利を果たした。
1949年1月28日日本フライ級王座に挑戦。花田陽一郎に5回KO勝ちし王座獲得。以後3度防衛。
1949年12月15日 日本バンタム級王座に挑戦。堀口宏に10回判定勝ちし王座獲得。フライ級と合わせ2王座を同時保有。以後2度防衛。
1951年5月21日ノンタイトル10回戦。現役世界王者、ダド・マリノに判定負け。
1951年12月4日ノンタイトル10回戦。ダド・マリノに今度は7回TKO勝ち。
1952年5月19日世界フライ級王座に挑戦。ここまで1勝1敗の王者、マリノに15回判定勝ちし王座獲得。以後4度防衛を果たす。
1952年11月15日 世界王座初防衛戦。マリノとのリターンマッチに15回判定勝ちし決着をつける。
1954年11月26日パスカル・ペレス(アルゼンチン)に15回判定負けし王座陥落。
1955年5月30日世界王座再挑戦。ペレスとのリターンマッチに5回KOで敗れ、現役引退。
1995年具志堅用高とともに白井・具志堅スポーツジムを設立、名誉会長に就任。
1995年11月3日 勲四等旭日小綬章を受章。
2003年12月26日 肺炎のため死去。享年80。
獲得タイトル
日本フライ級王座
日本バンタム級王座
世界フライ級王座
公式HP
白井・具志堅スポーツジム

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