名前海老原博幸 えびはら ひろゆき
別名カミソリパンチ
生年月日1940/3/26
国籍日本
戦績71戦65勝5敗1分36KO
紹介東京都出身の統一世界フライ級チャンピオン。
左利きのボクサースタイルの強打者。
同じ階級のファイティング原田、青木勝利とともに「フライ級三羽烏」と呼ばれた。
ボクシングとの出会いは神話的真実から始まっている。10代の海老原は目黒のトンカツ屋で出前のアルバイトを募集していたため面接にいくと、いかつい顔の店主がじっと彼の体、特に足を見て「縄跳びしてみろ」と言ってくる。何の意味があるのか判らなかったものの、とにかくバイトで金を稼ぎたかった海老原は店主の言うままにジャンプやダッシュを繰り返した。この親父は面接の後すぐに店を畳んでいる。この店主、実は、豪傑で名高いライオン野口の高弟で、目黒ジムの四天王と呼ばれたファイター型のボクサーだったのだが、ボクサーを辞めてマネージャーとなるとヤクザにタカラれる毎日でホトホト嫌気がさしたので『堅気になろう』と心機一転「とんかつ屋」を開いたばかりであった。新規に出前のアルバイトを募集したところやって来たのが海老原少年という話。そして、この店主が後に協栄ジムの初代会長金平正紀なのである。これは金平と親交のあった安部譲二の証言であるがこの説はあまりにドラマチックであり、実際は面接にきた坊やと金平が世間話をはじめたのが始まりという説もある。運命の出会いを果たした二人は、菓子折りを手に方々のジムを借り練習を始め、馬小屋を改造したささやかなジムを拠点とした。これが海老原の栄光と協栄ジムの歴史の始まりである。
引退後は酒に溺れ、肝機能障害であまりにも早い人生を終えた。原田は「俺は親の葬式でも泣かなかったが、海老原が死んだ時は泣きまくった」と大ショックを受けた。あまりにも勢いよく輝き、自由奔放に生き、そしてあまりにも早く逝ってしまった。まるで巨大な花火のようなその生き様は、ボクシングの経歴同様、波乱万丈であった。
1991年4月20日死去。享年51歳。
主な戦歴1959年9月20日栗原和彦に4RKO勝ちでプロデビュー。
1960年12月24日原田政彦(ファイティング原田)6R判定負けで初黒星。
1963年9月18日統一世界フライ級王座初挑戦。ポーン・キングピッチに1R、電光石火のKO勝ちで世界王座を奪取する。
1964年1月23日バンコクで行われた初防衛戦でポーン・キングピッチとのリターンマッチに敗れ王座陥落。
1966年7月15日オラシオ・アカバリョのWBA世界フライ級王座に挑戦するも15R判定負けで挑戦失敗。
1967年8月12日再度オラシオ・アカバリョのWBA世界フライ級王座に挑戦するも15R判定負けでまたもタイトル獲得ならず。
1969年3月30日前王者オラシオ・アカバリョが返上したWBA世界フライ級タイトルを王座決定戦にてホセ・セベリノに15R判定勝ちし再度王座を獲得する。
1969年10月19日バーナベ・ビカランポに15R判定負けを喫し、初防衛に失敗。
1970年1月引退。
獲得タイトル
世界フライ級王座
WBA世界フライ級王座
公式HP
協栄ボクシングジム

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