タイソンはなぜ耳を噛み切ったのか 井上 一馬

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発売日: 1998/06/01
発売元: 小学館
もう少していねいに描いてほしかったボクシングの試合中に相手ボクサーの耳を噛み切るという凶行に及んだマイク・タイソン。その「運命の日」に至る彼の人生を、ニューヨークのゲットーで過ごし た幼い日から辿った評伝。耳を噛んだ事件はマスコミ報道で私も知っていたが、その行動の意味を著者とともに考える旅ができた。
本書はタイソンの個人史だが、そこからは現代アメリカの姿を垣間見ることもできる。貧困の問題、人種問題、あるいは黒人であることを利用するプロモーターの話、そしてタイソンが引き起こしたレイプ事件に対する人々の反応や有罪となった背景など、私は興味深く読んだ。
ただ最後まで表層的という印象はぬぐえなかった。もう少していねいにタイソンの心のひだを描いてほしかった。また参考文献がまったく掲載されていないことも気になる。
癒されることを拒絶するタイソンの孤独と人間不信1997年6月28日、MGMグランド・ガーデンで、タイソンは王者ホリフィールドの耳を噛み切った。この衝撃的な事件の背景を、タイソンの生い立ち、さ らにヘビー級ボクシングの歴史を概観することで説明しようと試みる。そして著者は「喪失」という言葉をキーワードに、タイソンがこの凶行に至るまでの軌跡 を辿る。
アラーの神さえも救えなかったタイソンの「喪失」はとてつもなく大きなものだった。そしてこの喪失がタイソンを精神的に追い詰め、この凶行が起こ り得る素地を提供したことは間違いないだろう。しかし、この喪失のせいで「ルールをはずれた凶行に及ばざるを得なかった」(251頁)とすぐに結論づける のは、因果関係があまりにも直線的すぎる気がする。現にホリフィールドも、アマチ?!??ア時代に「試合中に怒りのあまりマウスピースを吐き出して相手の 肩に噛みつくという事件を引き起こしている」(225頁)。タイソンだけが特別だとは思わない。過去の精神的軌跡にその直接的原因を探ろうとしても、因果 関係が曖昧すぎて限界があるのではないだろうか。
自分としては、少年期に犯した数々の犯罪同様、その場で触発されて条件反射的に起こしたという性格の方が強い気がする。つまりより直接的な原因と は、ホリィのクレバーな戦略とその結果として多発したタイソンへのバッティングとクリンチであり、それに苛立ったタイソンがとっさに起こした反応だったろ う。タイソンの生い立ちが土台となりつつも、直接の契機は試合そのものにあったように思う。しかし、この本がタイソンの一面にすぎな!い「野獣性」を、他の側面、すなわち度重なる仲間の喪失の結果生まれた、癒されることを拒絶する孤独と人間不信に光を当てることで、中和していることの意義は強調されよう。全体的には極めてバランスの取れた論であると思う。
堕ちていくチャンピオン。ホリフィールド戦までのタイソンの人生ドキュメント。孤独なチャンピオンの心の闇に切り込む。ごく短い文庫書き下ろしですが、タイソン本としてはまずこれを読むべき。

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